レイキの歴史・・・・・・・。
レイキが誕生したのは、2022年の今から約100年前の1920年、代日本の京都府内で誕生した民間療法の手当て治療の1つです。
レイキの創始者の臼井甕男(うすい みかお)先生は岐阜県でお生まれになられました。
臼井先生の家柄は決してお金持ちではありませんでしたが、大変な勤勉家で、ひたすら勉強を重ねて努力する学生時代を過ごしていらっしゃいました。
ご自身の人生の職業を通して、
「人生の目的とは何か」を知るためについた仕事の職業は、会社員、公務員、新聞記者、実業家、
政治家の後藤新平さんの秘書などを務め、さまざまな職業を経験なされました。
それらの職業を経験の後に「人生とは幸せになるために生きること」
「安心立命を得ること」と目的を定め、
至上命題の探求心から禅の修行にはいられ、真の悟りを開くため、
安心立命(あんじんりゅうめい、または、あんしんりつめい)ある段階に達した心の状態を得ようと、
悟りを開こうと、約3年間の間、
ただひたすらやみくもに1つのことに集中し禅の修行を続けられましたが、達成することができませんでした。
臼井先生は日々考え悩み続け抜いたところを、禅のお師匠に相談したところ
「それなら一度死んでみなさい」
と禅のお師匠から言われ、臼井先生は「今までやってきたことは中途半端だったのか」とその言葉を聞いて、
「ならば私の人生もこれまで」と覚悟を決め、
再び鞍馬寺に籠り食を絶った断食と禅の瞑想に入られました。
修行のための断食ではなく死を覚悟した上で「悟り」を体で証明をするために。
断食から三週間後(21日後)に臼井先生は脳の中心部周辺に落雷を受けた体験をし、その衝撃は大きく臼井先生はしばらくの間、気を失いました。
そして数時間が立ち、臼井先生は気が付くと、時間は早朝で、今まで体験したことがない清々しく爽快な気分を感じられました。
脳から体に走った落雷の衝撃が心身を貫通し、体内と共鳴しエネルギーと一体感を感じ
私は大宇宙であり小宇宙と同調し探し求め続けていた「悟り」を得ることができたのです。
何か大きなものを手に入れたことを確信した臼井先生は、下山し、その途中で、転んでけがをし足の親指の爪をはがしてしまいました。
何も思わず足のケガに両手をかざすと、とたんに痛みがひき怪我が癒せたことがわかり、身をもってレイキを身に着け自分自身の身をもって
自分で自分のケガを癒したことを実感したのでした。
下山の近くにあった茶屋で、空腹だった臼井先生は、店主のいうことも聞かず、とにかくおなか一杯になるまで食事をとり続け、その最中
その茶屋の店主の子供が「奥歯が虫歯で痛い」と泣いており、臼井先生はこれも思わず、
店主の子供の痛む虫歯当たりに手をかざしレイキをあてて、しばらくすると虫歯の痛みと虫歯が消えたといいます。
虫歯の消えたことで子供は喜び、臼井先生は自宅に帰り、このレイキの活用方法について、必死に考え、
自分一人の宝物にするのではなく、世のためにレイキ(霊気)を広めようと
レイキの普及活動を始めました。
そしてレイキの宣伝やうわさを聞き付けた、海軍の方々や宗教家、寺のお坊様、その筋の学問の偉人の方々が
レイキを学ぼうとお弟子さんは次々と入門しました。
たくさん増えたお弟子さんの中ですぐれたレイキの能力を持ってる方を、臼井先生がその目でみて「21人」のお弟子さんに
臼井先生自らの、最高秘伝「神秘伝」を教え世に広まっていきました。